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考え事をしています。ときどき読書メモ

8番のりばを楽しめなかった話

どうも

今更かよ!という感じですが、『8番のりば』をあまり楽しめなかったというだけの事を簡単に述べる感想メモです。

 

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前作『8番出口』はこちら

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あっ、前回の記事のデスクについてですが、あの記事を出した後急な出費が重なったので購入が7月のお給料のタイミングにずれ込んでしまいました。今月中には購入してレポを出す予定なので、もう少しだけお待ちください。

 

 

 

では本題の感想に入ります。

ちなみに『8番出口』・『8番のりば』両方をクリア済みを前提としためちゃくちゃネタバレ記事なので、まだクリアしていない方、少なくともどちらかを全くプレイしたことがない方はご注意ください。

8番出口との比較

※本記事では『8番出口』は『出口』、『8番のりば』は『のりば』、ディベロッパーである「KOTAKE CREATE」およびその代表者である「コタケノトケケ」さんのことはまとめて「作者」と表記するものとします。

 

『出口』と『のりば』はゲーム性、この場合は「楽しみ方」の方向性が全然別のゲームで、先に『出口』のほうをプレイしたというのもありますが根本的に『のりば』になじめなかったです。

そもそも「別ゲー」とは作者も明言してるので同じ方向性を期待したほうが悪いというのは当然ですが、別ゲーになったからといって、新しく提示された「別の面白さ」が私にとって同じレベルであったかというと微妙でした。

ゲーム性を変えたのは、完全なる続編にすると本家本元(※)ではありつつどうやっても『出口』ではなく「リスペクトゲー」と横並びになってしまうからなのか、それとも純粋に新しい遊びの提案としての方向転換だったのかはわかりかねますが、個人としては変えなくてもよかったと思います。

 

※「異変を見つけ出すホラー」という作品自体は『I’m on Observation Duty』などの先行例があるほか、「ループする一定のエリアで謎解きに挑むホラー」という作品は『P.T.』や『Twelve Minutes』などがあり、いずれの作品も作者が影響を受けたことを公言しています。『出口』がホラーゲームとして一定の新規性と独自性を持っていることは確かであり、オリジンではありますが「他に類を見ない全く新しい体験を提供した作品」という意味で「本家本元」と表現したわけではありません。

 

恐怖への向き合い方

『出口』の面白さ、正確に言えば「ホラーをどのようにゲームの中で味わうのか」という点は、わたし個人の感覚ではありますが「探すこと・見つける楽しみ」と「起こっているかもしれないことへの恐怖」であって、異変自体の恐怖はそこまででもなかったです。

というのも、『出口』はホラーの定番演出である「ジャンプスケア」、例えば突然爆音で悲鳴が聞こえるとか、おじさんの首がすっ飛んで血しぶきブシャーとか、そういうタイプの演出が(おそらく意図的に)避けて作られています。また、直接的なビックリ要素もかなり控えめであり、驚くことそのものに焦点が当てられている印象はありませんでした。

対して『のりば』はまず異変ありき、異変が起こっているか起こっていないか探すのではなく、起きた異変にどう反応するかというのが遊びの主体になっています。

また、その異変も「窓の外から大きな手が急に現れる」とか「車内が煙に包まれる」とかかなりビックリ系が増えており、来るかも…来ないかも…という不安を味わうという楽しみが「この異変、どうしたらいいの?」と攻略する楽しみのほうに代わってしまっています。

進めるし戻れる『出口』に対して、とにかく進むしかない『のりば』は、どうしても遊び方というか、異変に対する対応のパターンが少なくなるな、と思いました。

 

少なくとも私は『出口』においては異変を探したい、通路を攻略したいというのがゲームとしての楽しみ方だと感じており、エネミーの存在自体に驚かされたりエネミーに立ち向かったりしたいわけではなかったので、そこが一番楽しめなかったポイントです。

 

異変の日常性

『出口』は日本の普通の駅の普通の通路が舞台だったという点が、一見変わらない風景の中から異変を探すというゲーム性に合っていたと思います。

よくある風景にすることで「日常に起こる異常」が自然に表現され、いつもの場所でありえない事態が起こっている不快感、不条理感が怖さにも繋がっているといえます。

『のりば』も日本の普通の電車の中が舞台ですが、『出口』と違うことの一つに「実在企業の広告が出てくる」という点があります。ゲーム内に実在広告が出てくること自体はリアリティがあって面白い演出だと思うし、そういう遊び心は大好きですが、同時に『出口』の壁の広告がフリー素材だったことによって出ていた「ありそうでなさそう」感が薄れたこと、ようは用意された非日常性がにじみ出てしまい、日常がおかしくなる(あるいは「なっているかもしれない」)ことのむずむずする、奇妙な感覚が薄れてしまったと思います。

また、登場人物のグラフィックについてもわりと「洋風」で異質な感じ、要はアセット感ありありだったのが、『出口』ではまともに出てくるのがおじさん(と双子くらい)だったので「まぁーそんなものだよね」って流せたのが、今回は「異変」として出てくる人物が増えたことにより洋風な人も増加、それにより日本の日常に現れた違和感という恐怖が減少したと思います。一方、かくれんぼの女の子が和風というかアジア風だったのは「ど、どっち?」と思ってしまい、わざと「日本の日常風景っぽくなさ」を演出したのか、適当に選んだモデルを使っただけなのかわからずモヤモヤしました。

ほかにも、ある異変でYoutuber・HIKAKINさんの声が登場しますが、わたしは割とすぐ誰がやっているか気づいてしまったので、なんだか急に冷めてしまったというか、これも実在広告と同じで「面白いとは思うけどこのゲームに求める面白さじゃない」と感じました(HIKAKINさん本人も「自分がどこにどんな風に登場するかわからないまま素材を提出した」とおっしゃっていましたが…)。

 

異変(イベント)そのもの

「異変発生中」という張り紙がドアに出され、これを見て異変を探す…というギミックが数個ありますが、これは親切だけど「何があるかわからないまま彷徨うホラー」ではないな、と思いました。電光掲示板に「目を離すな」とか指示が出るパターンもあるのですが、これも同様ですね。

一方、操作説明や「異変があったら進む」ことへの説明すらない不親切さ(※アップデートで「電光掲示板をご確認ください」のメッセージが出るようになったのでそこまでではないです。また操作説明がないのは『出口』もですが)もあり、このチグハグ感や不条理さはホラーの演出として合っているとは思いますが、同時に「異変発生中」を出すついでに「異変がなければお進みください」を、もう少しわかりやすく出してくれれば…とも思います。

また「だるまさんが転んだ」的な異変や「相手を引き付けたり引き付けなかったりして駆け抜けなければならない」異変が複数個あり、これは『出口』でも壁のポスターとか異変のパターンが同じなこと自体はあったのですが「何が起きているのか探す」のではなく「起きていることに対処する」のがメインのゲームだと、どうしても「またこれかー」な感じがしてしまいました。

 

作者が「『メイドインワリオ』みたいという感想が寄せられた」と言及していましたが、たしかに「○○しろ!」「○○するな!」という指示が出て(画面内に出ないこともあるけど)その通り上手いこと切り抜けるとその車両はクリア、というのがものすごくミニゲーム集的です。

個人的には車内広告にもなっていた『空気読み。』シリーズもゲーム性が近いと思います。ようは「多分こうするのが正解なんだな」と思いながらアクションコマンドを入れて、それが間違っていたら進捗がリセットされたりゲームオーバーになったりして、「これが来たらこう返す」のパターンを覚えてスルスル攻略できるようにしていくゲーム、言い換えると(変化球が来るかもしれない)ラリーを繰り返すことを目的としたゲームだな、という印象です。

 

じゃあ結局何がやりたいのか

はっきり言えば「『出口』のシステム・異変探しという方向性をそのまま引き継いだ続編をやりたかった」です。いわゆるライクゲームやリスペクトゲームでいいじゃん、というのはごもっともですが、ごもっともじゃないよ…とも思います。同じ作者が作った続編がやりたいのです。

 

『出口』と同じシステムにしなかった理由について、作者がこちら

gamemakers.jp

のインタビュー記事にて「作りながら何か違うと感じていた」「ある8番ライク作品と被ってしまっていた(※)」「基本的には『自分が作っていて楽しいから変えた』部分が大きい」としており、最終的には作者本人による積極性を持った決断であると考えられます。また「電車の車両という空間にすると、異変を探すためにチェックしなければならない箇所が多過ぎる」とも語られており、これは『出口』のような形の演出で異変探しをするためには、舞台が大きすぎるということもシステム(と演出の方向性)の変更に影響した、ということだと推測できます。

まあ、たしかにそう言われてしまうとプレイヤー側からすればどうしようもないですね、だって作者がそうするって言ったんだから…たとえメイドインワリオみたいになってもそれが面白さだと思ってるんだから…と言い返せなくなってしまいますな

 

しかし、わたしが楽しめなかった理由は、システムの変更そのものより、親切な異変への誘導やビックリ系などのわかりやすい演出によって出てきてしまった「ホラーとしてのいかにも感」「非日常っぽすぎる感」であり、『出口』が持っていた「どこにでもある風景なのにどこでもない空間の奇妙さ、不気味さ」が薄れたことです。より棘のある言い方をすると「嘘っぽくなりすぎた」からです。

 

『出口』のことを、海外の都市伝説である「The Backrooms」や、同じく海外で流行したジャンルである「liminal space」的である、としているレビューをいくつか見かけ、実際に作者も影響を明言していますが、確かにどこにもつながっていない閉塞的で人工的な、なおかつ日常的な場所を彷徨う、通路の中で「何か起こるかもしれない」恐怖を感じ続けるのはそうだと思います。

これは「移動し続けているがどこに向かっているわけでもない」電車の車両を移動し続ける『のりば』もそうと言えますが、異変ありきになったことで場自体のよさがあまり目立たなくなっています。

空間自体に感じていた奇妙さ、不気味さ、そしてどことなくノスタルジーで穏やかな気持ち(繰り返す空間の中でほぼ変わらないおじさんは特に穏やかさの象徴ですね)が崩れる(かもしれない)気持ち悪さ、つまりこれ自体がホラー的演出だったのが、首のない女の人や窓からのぞく巨大生物みたいなものが成立するような理由づけになっている、空間が装置ではなく「異変を際立たせるための単なる背景」と化しているので、じゃあ別に電車じゃなくてひたすら動きもしない部屋が続いているだけでいいじゃん、と思ってしまったのです。

 

 

まあわたしは普段ホラーゲームをほとんどやらないしホラー映画も見ないので、ホラーの作法と映画的演出技法には詳しくないのですが、「恐怖を感じるまでの時間が一番怖い」という『出口』はホラーとして異質であり、おそらく『のりば』のほうがホラー的に王道なんだろうと思います。

ただわたしがそれに乗れなかっただけで。

 

長くなりましたが、わたしはあくまで『出口』の正統派続編を期待してあまり楽しめなかった、というだけで、作品や作者、プレイして楽しかった人を貶めるような意図は一切ありません。

プレイ・クリア前提のこの記事を読んで新たにプレイする人がいるとは思えませんが、Steamのレビューぐらいの文章量にまとめられなったというだけなので、この記事はたった一人の偏った意見に過ぎず、きちんとした参考になりません。単体のゲームとして遊んだら普通にちょっと怖い空気読みだなーくらいの感想でした。

 

あと、最後になりましたがめっちゃ酔う(『出口』も酔いますが、電車の外の風景が動いているのでより酔いやすい感じです)ので、それが一番楽しめなかった理由かもしれません。酔い止めなしではクリア不可でした。酔いにくい体質の方ならまた評価が変わるかもしれませんね

 

そんじゃ終わり!

 

※どのゲームかは見つけられなかったのですが、「電車(の車両)で異変探しのライクゲーム」だとこれとかこれかな?と思いました(どちらもリリースが2024年3月なので違うかも)