牛後ちょっと前

考え事をしています。ほぼ読書メモ

運悪く就職してしまった話

高等遊民として生きていくつもりだった

 
非常に残念なことに就職してしまいました。

 

 

3月まで決まっていなかったのでこのまま就職できないまま卒業して、アルバイトしながら第二新卒か通年募集のところを受けながら生活していくんだろうな、考えていたのですが、就職指導担当の先生が変わったこと、たまたま大学経由でハローワークに来ていた地元の求人があったこと、そこが事業拡大のため増員したかったことが重なって、受けたらポコンと上がってしまい、卒業式から1週間ほどしたある日から働いております。

ある日、としたのは4月1日(今年は暦の関係で2日のところがほとんどだと思いますが)に始まったわけではなく、3月中に仕事が始まったからです。

初めは年金や保険の手続き的な理由があるのかと思っていましたが、1日始業の友人たちがそのあたりで別に困っていない様子だったので???という感じです。

ただ、大学で知り合って、本人の地元に就職した友人のところも私の2日ほど前から始業だったようで、新卒を普段とっていない会社はもしかしたらそうだったのかな、それとも3月中の仕事は研修扱いなのかな、と思い悩んでおります。

 

職種としては大学でやってきたことと技術的に重なる部分もあるのですが、とにかくよくわからないことだらけで、ついていけないし、同期はいないし、先輩は5歳以上離れている人しかいないし、あー辞めたいなーと思っています。

まだ1週間くらいしか働いてないのにね。

 

働いたらメンヘラ疑惑が出てきた

 

働きたくなくて困ったニャア話を母に相談したところ、「お前は感情に波がある子だから(そしてコントロールが効いてない)」と返され、せやな・それな・ほんまと思ったのですが、このコントロールの部分が引っかかり、今まで抱いてきた「これ(やたら落ち込む、人間と話すのが不安でならない、不安をセルフコントロールできない)は性格ではなくてメンタルヘルスのほうの問題では?」という疑問を晴らすべくちょっとチェックしてきました。

 

メンタルヘルスの総合サイト|診断・掲示板|こころナビ

ここの診断メニューのところから、不安障害診断をやってみました。以前ネットで調べた際、自分の状態は社交(以前の名称は社会)不安障害あたりに該当しそうだと思ったので、一番手っ取り早い感じのところで納得したかったのです。

 

点数だけ言うと54(何点満点かはわからないけど高得点らしい)で、これは点数が高いほどやばいタイプの診断らしく、思っていたよりしんどくなっていました。

 

金と安定が欲しい

 

基本的には自立して生活したいし、出来れば自分に合った環境で生活していきたいと考えております。そういう意味では今の職場はいい人たちに囲まれて給料は地元だと高いほうで自分の能力が発揮できそうな職場だと思いますが、例えば食堂が席指定で喫煙者と同じ空間だとか、自動車通勤が前提の距離だとか、ノリで自動車教習所も始めてしまったので体が限界だとか、いろいろあって、たぶん追い詰められています。

3月に焦って決めたところがあるので、自分でも踏ん切りがつかないまま仕事が始まったというのが本音です。

ここまでめっちゃ長くなったのですが言いたいことは仕事休んじゃった許してということなので…。

今後どうやって生きていくか

とりあえず運転免許(普通車)は取ろうと考えています。仕事は本当なら試用期間終了まで頑張りたいのですが、正直できる限り早く転職したいし、基本的に在宅でできる仕事があるならそちらで食べていきたいです。

それから、これまで人見知りとか内向型の性格傾向だと思っていたものが、治療ができそうなものだとわかったのが今日の一番の安心したことでした。仕事を今後続けていくなら、教習所が落ち着いたあたりにメンタルヘルスのお医者さんに相談して、解決策を探っていこうと思います。

なんだか更新間隔があいてしまって申し訳ないです。今月からは少しマメに更新できるようになると思うので、よろしくお願いします。本は読んでます。

それではまた。

 

 

 

 

 

 

 

就活しないで生きていく方法と面白かった本の話

就職が決まってない。

お久しぶりです。卒研と就活でしんでました。

くそやばいですね。学位はぎりぎりもらえそうなのですが、結構本気で危ないと思っています。

ゼミ担に「この学年で就職決まってないのお前ともう一人だけだぞ」と脅され、本気でパーンとなってしまい、恐怖のあまりこの1ヶ月ちかくゼミに顔を出していません。

いうて学年30人以下なのに…2/30なんてそんな、割合で言ったら6.7パーセントですよ、ねえ…

計算しないほうがよかった。

友人が次々研修だ引っ越しだとわいわいしており、ウゲーとなっているのですが、一応就活担当の先生がゼミ担から変わったのでちょっと気が楽です。ちょっとです、ちょっと。

結局就職しないといけないことに変わりないと考えております。日本人が日本人として生きていくためには労働して税を納めて家庭を築いていかないといけない(というよりそれが一番めんどくさいことを考えなくても恩恵を受けられる効果的な手段)ので、自分の意志とか関係なくとりあえず何か仕事をしないといけないし、引きこもりとか不登校はちょっと飽きたので、働きたい意欲自体はあるんだと思って就活をやり直しています。

いや、この時期になると次の学年の就活に切り替わってきているのでハアーという感じなのですが。

就活に最初から負けてる

ここでもう一回心情を整理すると「働きたいけど就活がつらい」です。

いや、働きたいなら就活しろよ、といわれるのはわかっているのですが、就職活動のプロセスっていうか「就活必勝法」がつらいのです。履歴書も面接もつらく、履歴書もエントリーシートも死ぬほど項目が多いし、なんだよ得意な教科って得意な教科があったら大学行ってねーよと卑屈になってしまいます。私の場合、SPIは非言語がどうしようもなく苦手で、一般常識は理数がだめで、適性検査は「合理的で協調性がなくネガティブ」みたいな結果だし、面接は人と話すのが基本的にだめです。

就活必勝法みたいなのが載ってある本は、「自信をもってハキハキとした受け答え」「具体的なエピソードを添えて奥行きある人間性を」みたいな人格が素晴らしく発達していて周囲含め自信に満ち溢れ楽しい学生生活および家庭環境で過ごしてきた人しか想定していないというか、根本的に自信がない人のことは「がんばれ」「数こなせ」くらいで終わっていて、悶々としてしまいます。必勝法に負けてるという。

折れたメンタルは立て直せるか

先述のゼミ担しかり、必勝法しかり、敗北の記憶が色濃いのですが、人間の体験の記憶は「うまくいったこと」より「うまくいかなかったこと」ことのほうをよく覚えているそうです。(ごめんなさいソースが謎です)

私は認知療法とかは講義でさらっと習っただけなので何とも言えないのですが、「どうやってもうまくいかない」ので「なにもしないほうがマシ」になってしまうとやばいというのは20年弱の人生で学んできていて、少なくとも就活まではある程度「うまくいかなくても理由を考えて直せばいける」的思考ができていたと思います。

でも就活が始まった途端できなくなってしまいました。

ちょうど就活の一番バタバタしてるときにサークルがやばかったり卒研がやばかったりしていて、「自分がいないほうがうまくいくのでは」と考える時期に入ってしまい、そこから全然抜け出せる気配がありませんでした。

でした、なので今は少し明るい兆しが見えてきたのですが、どうやって抜け出せるかも、になったかというと「とりあえず好きなことをして、うまくいったことを周囲に認めてもらう」という体験を繰り返しました。好きなことをして認めてもらうのが一番利いた感じがあったのですが、ストレスを発散してからめんどくさいことに取り組んで、その成果をきちんと報告して認めてもらう、というプロセスが自分には合っているような感じでした。

自己承認欲求を満たすのですね。

自信を失っているので「自分すごい、ここで働いたらもっとすごいことできる気がする、だから雇って」という考えかたに到達できなくなっています。ですので「自分じゃない人に褒めてもらって自分のすごさを客観的に見よう」というやり方です。

これをやりまくると勘違いしちゃったじゃないの人になってしまうのですが、自信が回復してきたあたりでやめると今日の私のようにブログを書く余裕が出てきたり、履歴書の添削をしてもらったり、ごきげんなことができるようになります。

つらい就活をしないで生きていくのはできる

人間向き不向きあるので、私のように既存の就活必勝法が合わない人はたくさんいると思うし、周囲に信頼して相談できる人がいない人もたくさんいると思います。(後者は少なくあってほしい)ですが、出来る人は自信が折れそうになったら自分でないところに褒めてもらったほうが元気が出るから、こいつ空気だけでなんとなくお世辞言ってるんだろうな、と思わず信頼できる人に助けてもらったほうがいいです。もしその途中で「これは信用ならない」と思ったら逃げるのがいいです。事象から逃げるのは大変だけど人から逃げるのはそれよりかは簡単だと思うので…

就活担当の先生からいただいた言葉でとりあえずこの話題を終わりたいと思います。

「つらい就活してるとつらい気持ちで働くことになるので、明るく楽しく就活しましょう」

 

最近読んだ本

 

今回から試験的にアフィです。

「あずかりやさん」大山淳子

 

これは本屋さんで買ったのですがブックカバーがすごいかわいいのです。Amazonだとないようですが、本屋さんによってはレトロなちょっと透ける茶色の薄い包装紙みたいなブックカバーがつけられていて、それが内容とマッチしていていいんです。画像出てきたら追記しますね。

舞台は商店街の一角に建つ「あずかりや」で、そこに預けられる色々なものと預ける人を取り巻く短編集です。以前紹介した「ぱりぱり」に雰囲気が近いかな。こちらも「あずかりや」の店主が主人公なのに語り手にならないつくりのお話です。

さらっとした文体でとても読みやすかった。意外とシビアでシニカルな視点、展開もあって、ブックカバーのふんわりした雰囲気から読むとちょっと印象が違うかもしれないです。

 「明日町こんぺいとう商店街」

 

この本で最初に「あずかりやさん」を知ったのです。本屋さんでたまたま見かけて内容も確認せず買ったら「あ!これあの本に載ってたやつか!」となりました。

7人の作家が商店街に建つ店を題材に書いた短編集です。人によって結構文体や雰囲気が違う感じなのですが、かわいらしいカバーイラストのわりに対象年齢は高い感じです。最初高学年向けの児童文学のアンソロジーみたいなやつかと思ってました。

この中だとチンドン屋さんの話が一番好きです。

「箪笥のなか」長野まゆみ

 

長野まゆみの文章って文学少女の心を満たすきれいな色気があるなあといつも思います。最近の(という表現があっているのかはわからない)文章になっているので、初期の耽美で純文学的な雰囲気より少し一般向けというか、読みやすい印象です。

親戚からもらい受けた箪笥と、箪笥の持ち主となった姉、不思議なものを呼び寄せてしまう弟にまつわる連作となっています。

この「なんだかよくわからないものを引き寄せる体質」の青年というのが長野まゆみ作品だとたびたび出てきて、そうなると大概主人公なのですが、今回の主人公は姉のほうでした。このお姉さんもさすがにしっかり者かつ好奇心旺盛で、読者の気持ちにぴったり寄り添うような人柄でした。

BLが大丈夫なひとなら「左近の桜」とその続編の「咲くや、この花」も結構近い雰囲気なのでお勧めです。

いま「よろづ春夏冬中」も購入してそろそろ読むか…という感じなのですが、これもちょっと不思議な現代ものらしいので楽しみです。

色々読んでるのですが、今回は就活の話が長引いたのでこんなところで終わりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何もしない日

しんどい。一週間風邪で寝込んでいました。昨日は体調が回復したので外出したのですが、人とほとんど話していなかったのでちょっと話をしながら遊んだだけでものすごく疲れました。

もともとストレスキャパの割に考え込む性格で、体もそんなに丈夫でないので、社交ゲージを平日に使い果たしてしまうことも多いです。考えてることに疲れてしまう、いくらでも考えられるけど体力が保たないので…

そういう休日は家にこもって社交ゲージが溜まるのを待ちます。

 

社交ゲージってなに

 

 

人生をゲームで表現してみましょう。

 

ローグライクRPGだと、体力(HP)、思考力(MP)のほか、空腹というステータスが存在します。(ゲームによってちがうこともありますが)ダンジョン内部をずっとうろうろ動き回り、長い時間滞在することになるローグライクについては、この空腹がなければ体力のもつ限りダンジョンを攻略し続けることができるのに、空腹を最大まで感じると、体力が減って動けなくなるのです。

私は、空腹は実行に移すステータスのことだと解釈していて、後先のことを考えて行動するHPとMPに対し、行動する自分を動かす空腹であると考えています。つまり、「腹が減っては戦はできぬ」であります。

現実の空腹はエネルギー消費で発生します。体をたくさん動かした、難しいことを考えた、という時に、空腹となるので、アスリートはハイカロリーの食事を摂って身体を養うし、棋士は対戦中におやつを食べることが許されるのです。

私は普段、そんなに現実の空腹になることはない生活ですが、じゃあ現実でない空腹とはなにか、といえば、社会と関わりになるために使うエネルギー、社交ゲージです。空腹というステータスと同じように、わたしにはこの社交というステータスが存在しています。

 

人と会うのは疲れる

 

 

人生20年弱、ずっと人見知りです。あがりやすく、引っ込み思案で、内弁慶ですから、知らない人やそれほど親しくない人と長い間会話をしたり仕事をしたりするのが、ものすごく苦痛です。素敵な自分を繕えるような演技力もなく、せめてもの愛想を保っているので精一杯です。

学校に行けば友達以外とも会うし、面接に行けば知らないおっさんがいるし、買い物に行けば走り回る子供と怒鳴るお母さんに出くわすし、しんどいのです。

こういうとき、社交ゲージがもりもり減っていきます。社交ゲージが減ると、人と会いたくない、めんどくさい、誰とも話したくない、人間の声を聞くのが辛い、布団になりたい、日光に当たると痛い、心臓の音すら煩わしい、あ、ベッドは窓のそばだし、そのまま窓からダイブしよう!となってしまうので、そうなる前に、適当に人と会わないことで社交ゲージを溜めます。寮生活なので、食堂や流しなどでどうしても他の学生や大家さんとは会うことになるのですが、まぁそういう時は必要最低限の接触にして、できる限り会いたい人以外に会わないようにします。

 

がんばれって言われても

 

 

お前そんなんじゃ社会でやって行けないぞとお思いの方、すみません、としか言えないです。前回の記事でも言ったとおり神経質なので、なにも言われなくても他人の目が気になるのです。生まれつきです。家族はそれほど気にならないみたいです。

成功経験と失敗経験が認識としてかみ合っていないので、なにをしても自信がないし、いつも怒られている感じがあるし、自分の成功を不安視してしまいます。

あと共感性羞恥がすごいので、ひどい時はニュースでインタビューを受ける市民でさえ見るのが辛いです。(テレビ4年間ない生活してるので、だれかテレビください)

基本的に社会と関わりがないと人間は生活していけないので、生きていれば社交ゲージは減り続けます。そういう時わたしは人と会わないことで回復させるし、全く会わないのも自己承認欲求で狂ってしまうので、好きな人たちとだけ会って楽しいことをします。

 

まとめ

就活うまくいってなくてつらいし、人に会うのもしんどいのですが、休みの日に死ぬほど休むとなんとかなります。なんとかならない人は好きなことをして好きな人にあってめっちゃ寝ればいいと思います。あと早く就職決めたい。

 

 

 

とりとめもない話

以前投稿した本田未央が好きな話が、ひそかにこのブログの一番アクセス数が多い記事で、不人気不人気言われながらもこんなにだみおが好きな人がいたんだと安心しました。ニュージェネはなんだかんだ言って最強ユニットの一つだと思う。

 

以下、Twitterに書くには長いけど、一本記事にするにはあいまいな内容たちです。

先日Amazon経由で駿河屋から中古ゲームを購入したところ、やたら大きい段ボール箱で届き、中央にポツンと箱がパッキングされていて、ちょっと前のAmazonみたいだな、フフと微妙に面映ゆい気持ちになりました。駿河屋はなぜかキャリタスとかマイナビに求人があって、応募するかちょっと迷いましたが静岡に縁ないしなーと思ってやめました。

就活サイト見るたびにウゲーーーーーーーーーーとなって、はやくものすごい額のお金を手に入れて働かずに生きていきたいな、と思います。


友人に神経質だね、と言われ、それはあなたの話では???となっていましたが、自分が神経質な自覚はあります。

でもその例で「コンビニでトイレ借りたり長居したりすると必ずなにか買うのやめたほうがいいよ」っていうのが謎なのです。私としては施設費の代わりに出しているというか、家や学校や職場でお手洗いを気兼ねなくすませることができるのは、自分で維持管理に関するお金を出しているからでしょう。家なら掃除をしてトイレットペーパーを変えて水道代と電気代を払っているし、学校や職場なら施設費を払っているし、それが店舗になった時「使わせてもらう代わり」にジュースや飴を買うのは、変でしょうか。公民館や公園だって税金経由で施設費出してるでしょう。

あと単純に、コンビニが好きです。コンビニはたくさんものがあって、地上のあらゆるお店の中でいちばん店員なやる気と客のやる気の釣り合いが取れている施設だと思います。コンビニめっちゃ長居してしまう。

初めは、友人に言われて、もしかしたら神経質かも…と思ったのですが、じゃあなぜ欧米人は店でのサービスに対してチップを払うのか?という話です。商品の料金に合わせて、店員や施設のサービスに対してお金を払うのがチップなら、私がコンビニでトイレの利用料として細かいものを買うのもおかしくないと思います。


最近偏頭痛がすごく、耳鳴りもして辛いです。耳鳴りというのが、金属っぽい「ミュィーーーーー」という音に、砂のような「サーーーーー」という音が重なっている音なのですが、これはなんなのでしょうね。扁桃腺炎になった側からするので、喉の炎症が耳に回っている可能性があるのですが、それにしても落ち着かないのです。

偏頭痛は小学生の頃からずっと戦っていて、薬を飲んだり寝たり冷やしたり対策は取っているのですが、どれだけ効果が出ているかといえば…で、一番効くのはやっぱりイブAです。わたしにはイブプロフェン系が一番効くし具合が悪くならないので、イブシリーズか、イブプロフェン系のジェネリック鎮痛剤を使っています。あと、抗炎症剤でもあるので、耳鳴りがちょっとよくなる気がします。


終わり。神経質についてはたしかにちょいちょい細かいことが気になるのでなにも言い返せないのですが、その割に記憶力が良くなくてぼーっとしているので、周囲が言うほど神経質ではないと思います。

子供の頃から気の抜けた子だし、生きていくのも辛いと思っているので、どんどん無になっていきたいです。


実用手描文字を手に入れた話とバンドロゴの話

読書とはちょっと違うけど、とりあえず本の話をします。

姉崎正広編「実用手描文字」を購入しました。

 

実用手描文字  『実用図案文字と意匠』新装改訂復刻版

実用手描文字 『実用図案文字と意匠』新装改訂復刻版

 

 大正15年に原書「実用図案文字と意匠」が出版され、再編したもののようです。実在した図案文字(すごい表現だ)が収録されています。リボンシトロンとか、ロート目薬とか。

正直「これ、読める?」となるようなものすごい文字もあるので、広告を楽しむというよりは文字の装飾性の限界を楽しむ感じの内容です。当時の雰囲気の感じられる、ものすごくグラフィック化した文字がたくさん収録されています。

カリグラフィペンやつけペンでしゃっしゃと引いた線がおしゃれです。もう、この時代に「変な形の文字」のアイディアは大体やりつくされていたんだなあ、と思うと、もう手も足も出ない感じです。

 

高校生のころレタリングを勉強していたので、手描きの文字には親近感が湧くというか、ノートの端っこに凝った装飾文字を書いて遊んでいたのを思い出しました。

いまちょっと研究でレトロな手描き看板とか、古い広告とか調べているので、読んで面白い、研究の参考にもなるいい本でした。

修悦体を見るのが好きな人は多分一日これを読むだけでつぶせます。テンションが上がって自分で書いてしまう人もいると思います。みんな書いて遊ぼう、自分の名前とかやろう。

 

ちなみに、グラフィック化した文字というと、メタルバンドのロゴもかっこいいので好きなものをいくつか紹介します。

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スレイヤー。文句なしにかっこいいです。刺さってきそうなのにどこも出っ張っていないのがおしゃれ。

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ナパームデス。毛糸っぽいというか、ちょっと怖い感じなのに見てるとほぐしたくなってくるゆるさがいいと思っています。

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アイアンメイデン。すっきりしていていい。なぜかメタラーでない人がよくこのロゴとエディのプリントされたTシャツを着ていることが多い気がします。

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ラムシュタイン。バンドの方向性に合わせてインダストリアルな、かちっとした感じ。私はなぜかいつもこの十字を見ると、ディスクシステムのディスくんを思い出してしまいます。

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参考のディスくん

 

もっと有名でロゴも曲もかっこいいバンドがたくさんあるのですが、とりあえずラムシュタインの十字マークがディスくんに見えることだけを伝えたいです。最近冷えてきましたので、皆さんもお体にお気をつけて。では。

 

 

ぱりぱりを読んだ話

瀧羽麻子「ぱりぱり」(文庫版)を読みました。

テンションが上がっていたので、昨日買って今日読み始めて今日のうちに読んでしまったこのテンションのまま感想を記します。

 

ぱりぱり (実業之日本社文庫)

ぱりぱり (実業之日本社文庫)

 

 

 

17歳でデビューした詩人、中埜菫(なかの・すみれ)という人物を取り巻く人々の物語です。1話から6話まで収録されています。瀧羽さんの小説は「うさぎパン」を読んだことがあり、こちらも一つの事象を取り巻く複数の人や事象について描かれています。

なんとなく本屋さんで「表紙がかわいいな」と思い手に取ったところ、この「うさぎパン」の作者であることがわかり、「うさぎパン」の淡々としているけれど温かみのある文章がとてもよかったので、まあはずれはないだろうと購入しました。

予想通り、淡々と、静かに、けれども人間的な湿っぽさと温かさをもって進むお話でした。

 

さて、本編と、中埜菫という人物についてです。(少々のネタバレをふくみます)

まず、この菫という詩人は、物語の語り部として出てくることはありません。彼女は常に他人によって語られる存在です。

菫(筆名はすみれ、とひらがな表記)は個性的というか、すこし変わった女の子です。小柄で色素の薄い感じの容姿、 ぼんやりした態度、一度集中してしまうと周囲を圧倒してしまう真剣さ…。

語り部たちはみな「普通」の人たちです。特別な才能があるわけではなく、周囲の人々や環境に気を使って生きている人たちが、まさしく浮世離れした菫とのかかわりで、自分について、菫について、今感じて、暮らしている世界について考えるようになっていきます。

考えるようになっていく、というか、なっていくことに菫はまったく気にしていません。人のこと気にしていない、というわけではなく、人に自分がどう思われるかを気にしていない彼女は、誰かが自分のせいで変わっていくことに興味を持っていません。

菫は自分の見えている世界を、自分の知っている言葉で、見たとおりに記します。それが「瑞々しい十代の感性でつづられた…」と称される「詩」として、世間に公開されていきます。処女作は非常に高く評価されたのに、2作目は酷評の嵐、そして3作目はどうなったかというと、そこまで話してしまうとネタバレなので、とりあえず読んだ方のお楽しみとします。

菫の処女作、そして2作目について、表題作でもある1話「ぱりぱり」で、菫の妹、桜は「どちらも菫の言葉であった」と述懐しています。2話「うたう迷子」で、すみれ(本編参照)の担当編集の北川は「すみれの詩が好きだった」という気持ちと「売りたい、たくさんの人に読んでほしい」気持ちが同時にあります。この二人は、詩人「中埜すみれ」と、生活者「中埜菫」両方の感性が同じであることをきちんと理解しています。菫についての導入部です。

3・4話では、詩人としての側面と、生活者としての側面それぞれを取り上げ、彼女がどういう風に周囲に影響しているかを説明しています。

5・6話で、菫そのものと同時に、彼女と同じ時間を生きていく人が、どう変わっていったかを、5話は成熟した菫を通して、6話は人間としてまだ形の定まっていない(あるいは、もう基本の出来上がった状態の)菫を通して、まとめています。

 

中埜すみれは架空の詩人です。そして彼女を取り巻く人々、環境もフィクションです。しかし、彼らの存在が何よりも人間らしいと感じるのは、二つ以上の感情が常にふらふらと渦巻いているからだと思いました。「うさぎパン」でもそうだったように、語り部たちはいらいらして、傷ついて、困っています。そして同じく、楽しくて、うれしくて、喜んでいます。それは、一見難しいように見える「中埜菫」が、一つの感性に従って自分らしく生きている単純さと、それが一人一人影響する場所、される場所が違う複雑さが同時にあることとつながっていると思います。

この物語は「中埜菫という詩人について」であり、「彼女の周囲に与えた影響について」であり、「ひととひととの関係について」書かれているお話でした。

 

なんだかとりとめのない文章になってしまった。

 

内容以外の話をします。文体はきれいな、というと抽象的ですが、口語体の落ち着いた文体です。作者が女性ということがあり、女性の語彙や話し方に違和感がなく、特別時代を象徴する固有名詞も出てこないので(せいぜい携帯電話が出てくるだけ)つじつまが合わないとか、古臭くてムキーとなることもありません。静かな気持ちで、ゆっくり読める本だと思います。難しい表現や特殊な言い回しもないので、さらっと読んでしまえるのではないでしょうか。

 

タイトルの「ぱりぱり」についてはきちんと1話で説明されているので、タイトルが気になった人も安心です。では、今日はこのあたりで失礼します。

 

 

うさぎパン (幻冬舎文庫)

うさぎパン (幻冬舎文庫)

 

 「ぱりぱり」が面白かったらこれも楽しく読めると思います。

夜のチョコレートを読んだ

今週のお題「読書の秋」

 

森瑤子「夜のチョコレート」の存在を思い出したので書きます。

なにがきっかけかはあいまいなのですが、たぶん古本屋さんで森茉莉と並んでいたので間違ってまとめて買ったものと思われます。森瑤子の本はこの一冊しか読んでいないので、普段どういう文章を書いていた人なのかはまだよくわかっていないのです。ですので、おかしな解釈や間違った作者への知識があっても見逃してほしい…。

 

単行本発行時点で平成2年、文庫化でも平成4年なので、出てくる固有名詞はさすがにちょっと懐かしい感じです。そもそも私が読んだのも2年くらい前です。

(社会の)理想的な女の象徴に浅野温子が、女子大生がアウディBMWに(これは文中でもパパに買ってもらった、と述べられているけど)乗っているとか、そういう単語がちょこちょこ出てきます。

それで、書かれていることはなにか、というと、日本の品のない若い(男)女についての批判と、啓発です。ある程度「当時の」という冠言葉が付くけれど、教養ある人が書いているので冷静に、詳細に人を観察しつつ、一貫して「品のある大人」としての考え方、立ち振る舞いについて述べられています。

中身の空っぽな若い女の子、というのが基本的に批判の対象となっていますが、読んでいる限りだとあまりそういう「空っぽな女の子」への問いかけという感じはしませんでした。というか、そういう人はこの本を読まないと思う。

さて、空っぽとはどういうことでしょうか。

外見は一番外側の内面である、とはだれの言葉だったか、最近は桐生つかさ社長の発言が有名ですが、人間の内面はたまねぎのように何重にも連なるレイヤーで構成されている、と私は思います。たまたま(たまねぎだけに)芯に近いところを見せているときに、裏表のない人だとか、正直な人だとか、そういう言い方をするのでしょう。あるいは、レイヤー数が少ない人。一番上のレイヤーが、すべての人に平等に見せられる「社会に参加する自分」として、整理された部分です。

マズローの五段階欲求の一番下が生存欲求であるように、人間の芯の部分で考えていることはせいぜい「長生きしたい」「子孫を残したい」「楽しく暮らしたい」くらいのものです。そこから、「健康を保つために運動したい」「魅力的な容姿になって素敵な異性と知り合いたい」「仕事を頑張ってより多くの給料を手に入れたい」とレイヤーが重なっていくのであり、外面がいい人というのはある意味一番洗練された存在だと思います。完璧によくできた自分をスキなく見せられるというのは、ほぼ生き物として完成されているという。

ただ、そういう「外面のい人」は実際のところ「外面だけがいい人」と、ぱっと見で区別がつくか、というのがあります。外面だけがいい人こそ、この本でやり玉に挙がっている「空っぽな若い女」なわけです。

外見は、いい服を着たり、髪の毛や化粧を整えたりすれば、ある程度つくろえるでしょう。私もスーツを着てきちんと化粧をしていると、周囲の(普段から身なりに気を使っている)人たちに紛れることができます。でも、私は普段大雑把な化粧しかしない、すっぴんのほうが多いし、妙な柄のTシャツにジーンズ、みたいな恰好ばかりしています。擬態と同じです。

でも、服と化粧がきちんとしている人が、ぼろぼろの靴や服装と合っていないかばんでいると、とたんに「だらしのない人」に見えてきます。

ある日、全身カジュアルっぽいゴシックファッション女子学生が、履きつぶしたスニーカーやよれたバッグで学校に来ているのを見たときはさすがに、自分のことを棚に上げて「ダサいな」と思いました。車で来て、ペダルが踏みにくかったのかもしれません、たまたま教科書をたくさん持ってきたのかもしれません。でも、服がダサいというより、そのちょっとしたことに気を使えない部分がダサいと思ったのです。それならまだ、おしゃれではないかもしれないけど清潔な服を着て、リュックサックに教科書を詰めて、休みの日にどこかへ出かけると自分の好きな格好をする、高校生までの制服スタイルでもいいわけです。

この本の当時は肩パッド全盛期で、みんなワンレンにボディコン、タバコをふかして外車を乗りまわす…ような人のことが取り上げられているけれども、その辺は時代によって変わっていくので、今だと「インスタ映え」みたいなところがテーマになるのでしょう。

お祭り会場で何度電球ソーダの出店を見たか、真夏にファーのサンダルで闊歩する、黒髪ストレートロングの暑苦しい女の子、秋になればまた違うトレンドで、1年後には違うライフスタイルで話ができます。時と場所が変わっても、中身のない人はいなくならないからです。中身のない人、空っぽな人が、流行を踏み倒していくのです。(別に流行に乗るのが悪いのではなく、主体性なく、みんながやっているから、とか、おしゃれっぽい自分に見せたいから、と流行のうわべをなぞる行為のことです)

 

いい服を着ていれば、いい服を着るだけの収入と美意識のある人に見える、それは本当のことです。きちんとした自分に見られたいからきちんとした格好と立ち振る舞いで生活するのは当たり前のことです。であれば、その「きちんと」にほころびがないように、内内の、下のレイヤーを組み立てていくべきです。というのが、私がこの本でふむふむとなったところを、かみ砕いて得た解釈です。

 

秋の夜長に、ということですが、178ページなのでサクッと読めるはずです。文体も整理されていて、読みやすかったので、作者の「知的階級っぽさ」が気にならなければ楽しく読めると思います。

 

夜のチョコレート (角川文庫)

夜のチョコレート (角川文庫)

 

 

 森瑤子さん、いま調べたらこの本が文庫化されて1年もせずに亡くなっているのですね。文からパワフルというか、バイタリティにあふれている印象を受けたので、なんだかびっくりしてしまいました。